南極観測船「しらせ」最後の航海へ
 

 「しらせ」は今
 平成19年10月24日。「しらせ」は静かな風格と品位を備え、母港である海上自衛隊の横須賀港からの出航を待っていた。隣のバースに接岸しているのは護衛艦「いかずち」。優美な船体には日本の平和と独立を象徴するかのように砲門が存在感を示している。

 「しらせ」は文部科学省が主管する南極観測のための砕氷艦であり、防衛に携わる艦の灰色ではなくオレンジ色の船体である。オレンジ色は海洋国家日本の未来の色、そのものであり、「しらせ」は秋の陽の光をいっぱいに受け止め、任務の重さをかみしめているかのようである。

 「しらせ」は横須賀で基本的な航海への諸準備を完了し、11月14日、東京晴海から南極へ向けての出航に備え、最終のチェックに入る。「しらせ」にとって、これが最後の航海となる。国民と世界の期待から、この49次の南極観測を以て解放されることになる。

 離岸する横須賀港には、艦に寄せる熱い想いを胸に秘め、荒川尭一海将 (当時の横須賀地方総監) が手を振り最後の別れを惜しんでいた。

 荒川海将はこの11月2日を以て海上自衛隊を退役する。海将にとって自らの別れでもある。彼の胸中には「しらせ」の退役がオーバーラップしているに違いない。


出航する「しらせ」に手を振る荒川海将(右)と

 離れてゆく「しらせ」の艦上では、この砕氷艦の指揮を執る品川隆一等海佐が、母港への惜別と荒川海将の想いをしっかりと受け止め直立不動・敬礼の姿勢を崩さなかった。艦長の穏やかな表情の中に最後の航海に懸ける決意がにじみ出ていた。

 「しらせ」は昭和56年起工され、57年海上自衛隊に引き渡された。昭和58年「第25次」南極観測に就航し、6年ぶりに昭和基地接岸を果たした。この年、日本国中に感動の涙を誘った「南極物語」が上映され、邦画興行上、最高の動員記録が達成された。「タロ」と「ジロ」の類い希な生命力と人との絆、南極の想像を絶する過酷な自然と環境は日本のみならず、映画を通じ世界へ発信された。

 以降、第26次から48次まで南極観測とそれを支える砕氷艦「しらせ」は海洋国家日本のアイデンティティーを常に高揚してきた。

 第26次では「あすか観測拠点」を開設し、「みずほ基地」ではマイナス摂氏61.9度を記録した。
  第29次では初の女性隊員が参加し、新しい歴史の始まりを国民に伝達した。

 第35次では昭和基地での管理棟が完成。併せてドームふじ基地が開設された。
  第36次では生態学上貴重な「湖沼こけ群」の発見が発表された。
  第37次ではドームふじにおいてマイナス摂氏79.7度を記録し、日本では感覚的に理解できない極寒の様が報道された。
  第 40次には「環境保護に関する南極条約議定書」が発効された。

  第43次では阻石調査隊が「やまと山脈」にて過去最大の限石の採集に成功し、地質学上、大きな評価が与えられた。
  第44次では NHK 南極支局が、翌年には新日新聞の南極支局が開設された。
  第47次では、ドームふじ基地で将来にわたって大きな糧となる3,028メートル氷床掘削に見事成功を収めた。
  昨年平成18年は小梅三津男艦長のもと南極観測50周年事業が催行された。

 半世紀にわたる南極観測のすべてと、支援する観測船 (砕氷艦) はいつも未来に夢を描く話題と苦闘、苦難の中で誕生する様々な人間模様を発信してきた。これは同時に日本と日本人のプライド、そして勇気の原点にもなってきた。

 昭和60年(1985年) 、第27次は昭和基地とアイスランド、オーロラ共点観測の始まった年にあたる。

 その年の12月2日、オーストラリアの観測船「ネラ・ダン」の救出をオーストラリア政府から日本政府に要請され、政府は「しらせ」に救援命令を発令した。10日間、極限の自然環境を克服し、12月12日、「しらせ」はネラ・ダン号の北方170マイルに到着、更に4日後、救出を成功させる出来事があった。

 海を愛する人々、海に関心のない人々まで、全ての人々は遠い過去にソ連の「オビ号」に救出された「そうや」を思い出し、ソ連に対する認識が確実に変化したことを改めて認識し、この救出を国際協調の立場から歓迎した。

 平成10年(1998年)12月18日には南極で行動中のオーストラリアの観測船「オーロラ。オーストラリス」が氷海においてプロペラの故障により自力運行が不可能になり、政府の要請に基づき「しらせ」が救助に向かい、氷海の脱出に成功し、無事救出のニュースが流れた。

 また平成15年(2003年)3月31日はパプア・ニューギニア沖のロッセル島の南東のリーフで座礁した「マツドマックス」 (オーストラリア籍) の救助にあたり、無事収容した報道にも接した。

 当然、この50年間には厳しい試練に何度も遭遇した。病人やけが人が発生したり、事故にも決して無縁ではなかった。

 クレパスに雪上車が落下した事故もあった。ブリザードによる風力発電タワーの倒壊もあった。ブルドーザーの水没事故も発生した。

 しかし、後世にしっかりと伝達できる多様な快挙も成し遂げてきた。オゾン層でのブラックホールの発見。生物各部門での成果、地質学における調査等は南極の限りない可能性を世界に知らしめることになった。

 また、インテルサット地球局の建設は電子、情報、通信の世界にも、その発展に大きな役割を果たしてきた。

 半世紀にわたる科学者、研究者の研究や調査、観測、それを支える海上自衛隊員と「そうや」「ふじ」「しらせ」の存在と活動は日本にとって、かけがえのない誇りなのである。




 「しらせ」のこれから

 南極観測は1957年、昭和基地を開設して以来、「地球環境を探る窓」との位置付けを基本に50年の歴史を刻んできた。同時の日本の科学の進歩にも大きな影響と進化を与えてきた。トラクターの大きな車輪の開発等はその代表的な例とされ、世界に誇る大型車輪の存在感を高めてきたと評されている。

 昭和31年から37年の6次にわたり活躍した「そうや」は初の観測船として記憶に新しい。「そうや」は昭和13年民間の貨物船として浸水。その後、日本海軍の測量船として軍事活動に従事。終戦後は引き揚げ船、灯台補給艦として用いられた。小型ながら屈強の船舶であり、初の南極船として活躍した。しかし砕氷艦能力はなく、六次を以てその使命を果たし、その後は海上保安庁の巡視船として、昭和37年から53年まで主として寒風吹きすさぶ北方海域の安全に寄与してきた。

 この任務を終了し、今は財団法人日本科学振興財団が所有し、管理・運営がなされている。現在、東京お台場において船の科学館として一般公開されており、海洋国家日本の一翼を担っている。

 南極観測船の二代目は「ふじ」である。

 「ふじ」は「そうや」の後継艦として昭和40年から58年まで観測船として活動してきた。「ふじ」の能力は砕氷機能、運搬能力ともに「しらせ」の約2分の1であった。昭和基地への接岸にも困難を極める場面があったことも事実である。


名古屋港に係留される「ふじ」

 「ふじ」は退役後、名古屋港管理組合の所有となり、財団法人名古屋みなと振興財団が管理運営を行っており、今、名古屋港に係留され内部も含め一般公開されている。

 「しらせ」の先輩に当たる「そうや」、そして「ふじ」は広く国民に記憶されると同時に一般公開されることによって、今なお、子どもたちに夢と希望、そして勇気を提供している。

 地球、そして世界の貴重な財産である「南極」。四面海に囲まれた海洋国家日本の象徴とも称せられる「そうや」「ふじ」は静かに、より確かにその責務を果たしている。

 来年五月には「しらせ」もその仲間入りするのは既に確定している。しかし、「しらせ」の次の使命が何なのかは決定している訳ではない。南極観測における最大の功績を誇る「しらせ」の運命は今後、どのような道筋を巡るのであろうか?

 「しらせ」は昭和56年、起工された。当初からこの建造には日本の威信が込められていた。昭和基地の接岸への困難性と大量輸送能力の限界が指摘されていた「ふじ」の後継艦としての期待は大きなものがあった。単に日本のプライドだけではなく、造船能力や科学技術への挑戦でもあった。

 基準排水量11,600トン、全長134メートル、最大幅28メートル。深さ14.5メートル、乗員観測員等230名の居住。課題の砕氷能力は氷厚1.5メートルの平坦氷海域を3ノットで連続砕氷が可能になっている。

 もう一つの課題であった荷役能力も格段に整備されている。貨物重量は「ふじ」の倍に当たる1,000トン、デッキクレーン4基、フォークリフト3台、コンベレータ2基、エレベータ2基が装備されている。

 また観測設備においても大きな進化が認められる。気象、宇宙、地学、海洋、生物に関する設備とそれらデータを解析できる装備とも搭載している。まさに日本の造船、工学、電子の高水準を世界に発信してきた。

 
 
 南極とは…

 南極とは地球に残された唯一の自然そのままの大陸である。北極がほとんど氷に覆われた「海」なのに対し、南極は南緯90度の南極点を中心に地球の一割に達する「陸」であり、その面積は日本国土の37倍にあたる「大陸」なのである。

 同時に、人が活動するには過酷すぎる自然環境を有している。地球上の最も極寒の地であり、マイナス89.2度を記録している。また雪と氷の嵐と称せられる「ブリザード」が吹き荒れ、風速50メートルを超えることもあり、年間を通じて100日もブリザードに直面している地域もある。

 南極は氷と雪の世界であり、大陸の95 % は氷床であり、この厚さは平均で1,856メートル、最大では富士山の高さを凌ぐ4,776メートルに達している。この氷床は地球上の氷の90 % を占め、淡水の70 % と云われている。

 併せて、南極は地球誕生からの歴史的博物館とも評されている。氷床の下部から古い年代順に積雪されており、その雪には数十万年前の空気や浮遊物が含まれており、科学とロマンの世界そのものなのである。

 また南極は一億五千万年前までの超大陸「ゴンドワナ」の中心を形成しており、岩石や土に含まれる生物の化石等は地球誕生から今日までの歴史絵巻と言っても過言ではない。

 南極は未知への可能性と次世代への夢と希望とロマンに溢れた「白い大陸」なのである。

 
 南極観測の危機!

 半世紀にわたり一歩一歩着実に成果を積み上げてきた南極観測。それを支えて同時に歴史を刻んできた観測船。その輝かしい栄光が平成20年、新たな扉を拓く前に大きな危機に直面する。

 退役する「しらせ」の後継艦が建造できていないのだ。「しらせ」は49次の観測でリタイヤすることは数年前には確認されている周知の事実である。当然、後継艦の建造のタイムスケジュールはこの現実をしっかり見つめるものでなければならない。

 しかし、しかしである。来年11月、南極に出航する艦を私たちは保持できないのである。

 国民の大多数はこの事実を知らされていない。事実を知りうる官僚たちは何故か、この真実を語らない。国民を代表する国会議員も、この危機を知らないのではないだろうか。もしも認識している議員が存在するならば、声を大にしてこの国辱的決定に異を発言するだろう。知っていて、何も言わぬ議員がいるのなら、それは無責任と怠慢の誹りは免れない。

 いずれにせよ、来年私たちは国際社会から痛烈な「批判」と「哀れみ」を受けることは必定である。同時に日本の威信に対する想いは大いに傷つくことは確実である。

 一説によれば、「予算」の問題であると評されている。世界第二位の経済大国が、国連拠出金、 ODA でもトップランナーであるこの日本が、海洋法を制定し、「海に向かって進路」をとるべき海洋国家日本の恥ずべき真実がここにある。

 平成19年11月14日「しらせ」は文字通り、最後の航海に出る。49次南極観測は「しらせ」にとって最後の任務となる。きっと私たちの期待に応え、大きな成果と限りない勇気をもたらしてくれるであろう。

 平成20年春、「しらせ」は帰国する。就役後、「しらせ」に帰る港はあるのだろうか。後継艦不在が国民の失望なら「しらせ」の未来は失意そのものの可能性がある。解体され、スクラップとなるのだろうか。未だに展望は闇の中なのである。

 日本の政治や行政はこの程度のものなのか?日本人の心はここまで枯れ果てているのだろうか?

 今、私たちは「しらせ」の活用を真剣に議論すべきである。子どもたちのためにも、未来のためにも「しらせ」の果たしてきた栄光の歴史を語り継ぐためにも騒然たる議論をすべきなのである。

 そして、「しらせ」の後継艦の建造にも拍車をかけ、少なくとも外国の砕氷艦をレンタルするような愚行を回避しなければならない。日本人の夢を破壊するような愚挙は断じてしてはならないのである。

 「そうや」と「ふじ」は一般公開され、南極観測の意義と存在を今に伝えている。歴史の伝承者として、その責務を果たし、多くの人々に愛され続けている。

 「しらせ」はどうなるのであろうか? 「しらせ」は艦の保持する機能を後世に伝えなければならない責務がある。

 世界に冠たる造船技術、生態系や海洋のエネルギーの可能性や解析能力。環境破壊とその抑止。学術機能と人材育成の機関として活用していくのがベストである。

 全国で四十三校存在していた「水産」高校。「海洋」高校は年々、その姿を失っている。練習船「海援丸」を擁し、全国でも勇名を馳せていた「土佐海洋高校」も廃校となった。

 少子化のうねりの中で、次々に閉鎖される海洋系高校。海洋国家日本の無策と政治家の理想の欠如がこの悲劇を招いている。まさに自治体の財政力が「海」の学校の閉鎖の主原因とするならば、この惨状はまだまだ続くことになる。

 「しらせ」は生きたキャンパスとして活用すべきである。調理場も食堂もある。居住性にも優れている。海に憧れ、海で学ぴ、海で人生を切り拓いていこうと決意している少年少女にとって「しらせ」は命あるキャンパスであり、感動的学舎として生き続けるであろう。
 毎日が新しい体験であり、発見であり、学びであったなら、そのアイデンティティーは限りないものになる。気概と理想と夢と熱く燃える情熱を持った為政者、教育者の賛同と決断を待ちたいものだ。
 
『正論』2008年2月号に本論文の抜粋版が掲載されました