日本人は改革に意欲がないのか?
前号に記述したように平成16年の間に誕生した歴代総理、誰もが改革を標榜し、声高かにアピールしてきた。しかしいずれも国民の理解や確実に改革やシステムが変わったと実感させるには至っていない。なかには日本人は保守的で改革に対して意欲的でない。だから改革などできない。と断言する人々もいる。又改革をすすめるより何かと食べていけるのだから今のままの方が良いと主張する人達も存在する。政権が猫の目のように変わるので腰を据えた改革は不可能と唱える人達がいる事も事実である。
では何故改革路線が支持されるのか?本当にこのままで日本は21世紀を乗り切れるのか?世界の中での日本のアイデンティティーを示すことが可能なのか?といった問題を提起すれば誰も将来と今日の現実に困惑する。
成功した改革
日本の近代史を考えるとき、日本と日本人は世界にも例をみないドラスティックな改革、いや革命といっていいほどの大変革を無血で実現させていた。本年は日米和親条約締結150年を迎える。151年前ペリーひきいる4隻の黒船が横須賀久里浜に来航し、日本は眠りから覚めた。徳川時代は300年に及び日本は鎖国のなか世界の情報から孤立し、我が道のみを歩んできた。結果3世紀にわたり、人口の増減なき社会を構成してきた。
徳川初期に3000千万人、末期にも3000千万人、世に不思議な人口抑制社会を構築してきたのである。原因はもちろん食糧の自給自足に耐える人口が3000千万人だったということである。その為「ウバ捨て」「ジジころがし」「マビキ」といった非人間な世界を展開せざるを得なかったのである。黒船の来航はこうした日本の社会構造全体を揺るがし、徳川幕府の崩壊と明治維新への道を拓くことになった。鎖国を解き、世界の中の日本を意識することにより日本の改革は成功したのである。多少の血の嵐はあったとしても改革実現の大きさに比すれば、又世界の各国国内戦争や戦国時代の流血と対比すれば決して大きすぎる犠牲とはいえない。どうして幕府から民主的な議会制度に改革できたのか。
改革すべき目標の設定が明確であった
この江戸から明治への改革の目標は「士文化」から「大衆文化」への改革という明確な道すじが示され、国民が抑制されることなくこの変革を支持したことが成功の原点であった。ペリー来航時人々はちょんまげと滞刀、武家社会が全てを掌握し、身分も「士農工商」で確立されていた。しかしアッという間に武家社会は跡かたもなく崩れさり、身分社会も消滅した。更に鎖国を解くことにより海外の文化、技術、資源が日本に流れこみ、賢明で知的で働きものの日本人は民主国家の建設に成功するのである。何故か?改革に必要なのは何か。ターゲットと次に想定する社会システムを全ての国民が明確にされてこそ改革成功の礎えとなるのである。明治維新は武家社会、すなわち「士(さむらい)社会」を倒す。欧米に列する近代国家を創造する。こうした主張が国民に支持され改革への道筋が明らかになり、大変革が成し遂げられるのである。
第2の成功例
明治維新から近代国家の仲間入りをした日本は急速に文明国家へと変身し大躍進を続ける。鎖国から貿易立国への180度国の方針が変わり、技術革新と相まってアジアの大国への道を歩みつづける。大正ロマンの言葉どおり、日本独自の文化も花開き、世界に伝説のジパングから現実のジャパンに認識を変えさせるに至った。富国強兵の名のもとに人口も増加し、アジアの盟主たる自覚も芽生え大国への道を確実にしていくのである。次第に軍備は強化され、軍人が日本を動かすようになってくる。そして日清、日露、第1次、第2次世界太平洋戦争へと日本は突きすすんでゆく。連戦連勝を続ける日本、更に軍備はすすみ遂に米国と激突。日本の歴史上、唯一の敗戦を喫するのである。広島、長崎における原爆投下が全てを終結させた。荒廃した国土とおびただしい人命の犠牲、類々たる「しかばね」のなかから、人々は立ち上り、まさに無血の改革を日本はやってのける。目標は、次の社会システムは何か。軍人による政治をストップさせること。民主国家を現実させること。自由主義経済を確立すること。こうした目標のなか、国民の総力を挙げた大改革は見事に成功していく。今アメリカに次ぐ第2の経済大国となった日本。技術革新も情報社会も世界の目標となった日本。こうした現実を創造してきたのは明治維新と戦後の改革の歴史の示すところといっても過言でない。日本人と日本社会は改革のプロである。閉塞感みなぎる今日、平成改革は果たして実現するのか?改革は進行しているのか?第3回の改革は成功するのか。答えはNOである。次回は更にこの事態に迫ることにする。
|